アスパラ???の正体は・・・ 
先日、記事にしましたアスパラのようなものの正体です。

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正確に何と言う植物であるかは私には分かりませんが、恐らく蘭かなにかだと思っています。

1月前ほど前に写した写真であり、どんな花が咲くかとても楽しみにしていましたが・・・

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【2007/10/15 Mon 17:15 】 | 日常その他 | comment(6) | trackback(0) |
庭に巨大アスパラ??? 
ん、巨大アスパラ???


 現在のところに住んで5年ほどになりますが、なんとアスパラのお化けみたいなのが登場しました!!

正体は後ほどお知らせいたします!!
【2007/10/13 Sat 20:00 】 | 日常その他 | comment(4) | trackback(0) |
古田の引退に思うこと 
◎ヤクルトの古田がついに引退のときを迎えた。

 昨日の対広島戦。相手チームの広島のファンまでもが「27」のプレートを手にして、古田の有終の美を演出した。敵ながら天晴れということか・・・

◎立命館大学時代に捕手としての高い評価を得ながらメガネを使用しているという理由で、結局、ドラフトではどこの球団からも指名がなかった。

失意のまま、社会人野球のトヨタ自動車に進むことになるが、その後、球界の常識を破ってヤクルトが指名、晴れてプロ野球選手となることができた。

古田は18年間というプロ野球生活をしめくくり、ヤクルトの黄金時代の立役者として活躍、投手のリードだけでなく、打者としても2000本安打を達成し、見事、名球界入りを果たすまでの選手となった。もし、大学からストレートにプロ入りをしていたらもっとすごい記録を達成できたかもしれない・・・

◎それでも、もしかすると古田にとって2年遅れのプロ入りは大成功だったと私は思う。
 もしヤクルト以外の球団が大学時代に指名していたら、野村監督のもとで指導を請わなかったらどうだったのだろう。いい選手であったことは確実だと思うが、野村監督の下でさらにその才能が開花されたのだと思う。

 千里を走る能力を備えた名馬であった古田は、条件の整ったヤクルトという球団のもとにあって初めて本当に千里を走ることができたのだろう。

◎教訓。たとえ数年間不遇の時代があったとしても結果として、その後の人生が花咲くものとなればよい。

 そんなことを古田が代弁してくれているのかもしれない。


◎今、苦しい時期を過ごしている皆さん、その時期は無駄ではありません。誰かがその姿を目に留めてくれるかもしれません。

 私も含めて、その日が訪れることを期待して頑張っていきましょう。
【2007/10/08 Mon 09:45 】 | 税理士試験 | comment(4) | trackback(0) |
私の足跡(その3) 
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足跡(その3)〜スペイン編.1994〜

 本当のことを言うと、シンガポールがここに入ってくるのであるが、シンガポールには就職した年に、職場の同僚と一緒だったので、「足跡」からは外すこととした。

 前回のその2でも書いたとおり、就職したらもう海外旅行できないと思っていた。にもかかわらず、周囲には大変迷惑をかけたことと思うが、結局有給を目いっぱい使い行ってきたのだった。

 さて、この旅では、表題のスペインとイギリスを続けて旅をしている。まず、スペインにはなぜか行ってみたいと以前から思っていたことと、折角、目いっぱい有給を使うので、一カ国だけではもったいないので、このときの飛行機がBA(ブリティシュ・エア・ウェイズ)であったこともあり、イギリスも見ておくこととした。

という訳で、まずはスペインだ。
 スペイン。レコンキスタによりイスラム勢力から国土を回復した力強い国。大航海時代には、同じくイベリア半島の国であるポルトガルと世界を2分した大国であった。また、「ピレネーを越えるとアフリカ」といわれた土地でもある。
 日本との関係においては、日本が群雄割拠であった戦国時代、キリスト教の宣教師達はスペインからやってきた。
 文学ではドン・キホーテなどの名作が生まれ、音楽でもギターの本場であるなど文化の面においても秀逸なものが多く存在する国。

 きっと一言では語られつくせない、混沌にとんだ、それでいて魅力タップリの国に違いない。

 こんな想いが私をスペインに駆り立てた。


 卒業旅行のときとは違い、空港での手続き等や旅先もヨーロッパのみであることもあり、だいぶ心にも余裕があったことを記憶している。
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※マヨール広場。周辺は古き良きマドリッドを彷彿させてくれる。


 7月。今年の日本は記録的な暑さとなったが、当時のスペインも暑かった。町の温度計表示が軒並み37℃などという表示がされていた。帰ったら職場の人たちに自慢しようと思ったものだ。
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※写真はスペイン広場です。下には、ドンキホーテ像(背景と同化してしまっていますね。)

 

 〔地下鉄の中で〕
 私は手すりにつかまって立っていた。さすがヨーロッパの国、ストリートミュージシャンならぬ、ギターを弾きながら車両を移動する人もいるんだななんてぼうっとしていたら、私の前に座っている女性が私のリュックを指差して「あんた、その中、探られてるわよ。」的なことを言っている!!

ドキッとして、リュックの中を確認した。大事な「歩き方」、カメラ等々・・・大丈夫だ、特に盗られているものはない。

 「注意しないとね。」(だったと思います)とその女性。

 ギターを弾くヤツとグルになったヤツが、そのギターに気を取られてる者の荷物等を探るというような窃盗行為が行われているらしかった。

 このことは平和ボケした、空きだらけの私の意識を変えた。以後できる限りリュックを体の前に置いて、見えるように持つこととしたのである。


〔ピカソの絵〕
普段日本では美術館など行くこともないのだが、歩き方等にも載っているので、マドリードではプラド美術館とティッセン・ボルネミッサ美術館、国立ソフィア王妃芸術センターに行った。
 そして、バルセロナではピカソ美術館に行った。
 

数々の絵画の巨匠達の作品をみて感動したが、一番興味を持ったのは、ピカソの作風の変遷であった。

通常の感覚を持つ多くの人は、ピカソの作品を理解できないと感じるかもしれない。

しかし、もしそのように感じているのなら是非、ピカソの若き頃の作品を鑑賞していただきたいと思う。誰もがピカソは普通の絵も描けることにビックリするだろう。

そして、そのような画力があることを前提として我々が通常ピカソの絵だと思う作品を描くことができるということに気付かされるのだろう。

もちろん、ゲルニカ(国立ソフィア王妃芸術センターで)も鑑賞することができた。写実的に描いたらきっとこれほど多くの情報量を一枚の絵に表現することはできないと思う。そして、普通に描く以上に感情をこめて、戦争を批判していることが伝わってくる。

もうピカソの絵が全く理解できないということはなくなった瞬間だった。



〔オレ!!〕
ベンタス闘牛場にて


スペインといえば、やはり「闘牛」である。
するどい角を持った、敏捷な荒くれ者の牛を相手に立ち向かうマタドールは、まさに荒涼としたスペインの大地が生んだ勇者である。
これを見ずして日本には帰れない・・・

ということで、ベンタス闘牛場にて闘牛を観戦しました。

ソル・イ・ソンブラのソルの方の席でした。記憶がだいぶ薄れてしまいましたが、確かソンブラは日陰のことで、暑いスペインではソンブラの方がいい席だったように記憶しています。
 なので、マタドールが牛をしとめるのはソンブラの方ということになり、私の席の逆側でした。その写真も撮ったのですが、遠くで写真の中央にやっと写っている程度でしたので、上記の直立して対峙している写真を掲載しました。

 牛の背中に銛が数本打ち込まれているのがわかるかと思います。
 闘牛はマタドール一人によって行われるものではありません。マタドールという主役が登場するまでには、おどけた役割の者もいます。この段階で複数の銛が打ち込まれ、多少、牛はダメージを受けるのか、それとも、さらにエキサイトするのでしょうか?
ついに主役であるマタドールの登場となります。赤い布を操り、牛を翻弄し、そして仕留めます。

 ただこの闘牛も1回だけで終了するのではなく、1回の公演につき数回行われます。なのでマタドールの質もピンきりなようで、さすがに最後に登場するマタドールはやはり真打です。失敗することなく1発で牛を仕留める見事さでした。

 最後には、仔牛を場内に放すとスタンドの観衆も場内に進入し、闘牛の真似事が始まります。これが楽しみな地元の人々もいるのでしょう。


 ちなみに仕留められた牛はその後どうなると思われますか?

確か、市中のレストランに出回って食用になるとのことだったと思います。ただし、筋肉隆々の牛なので肉質はとっても硬いのだそうです。日本の霜降りの牛肉とは対局にあるのかもしれません。


〔バルセロナ〕
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メインストリートのランブラス通りはとてもにぎやかでした。
メルカド(市場)も活気があり、ヤギ(もしくは羊)の頭半分など我々にとっては珍しく、かつ、グロテスクなものもありました。

〔サグラダ・ファミリア〕
未完成でこれほど有名な教会はないだろう。
アントニオ・ガウディの設計であり、今日もいずれ訪れる完成の日に向けて少しずつ工事が進んでいる。

現在の高さは92m以上あるとのこと。完成すると178mにもなるそうです。
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※全貌を写すのは大変でした。しかし、腕、逆光等でうまく写らなかったですね。

上ってみるとバルセロナ市街を見渡すことができる。
こういった建物はだいたい登ることが可能ですが、かなり疲れます。観光に備えて日ごろ鍛えておかなければなりません(笑)。




〔アルハンブラ宮殿〕
グラナダでは、レ・コンキスタ前にイベリア半島で栄華を誇っていたイスラム勢力の拠点であるアルハンブラ宮殿をたずねた。

 レコンキスタでキリスト教徒がこの地を奪還した後、手が加えられてはいるかもしれないが、それでも当時のイスラムの建築物が残されており、観光できることに感謝でした。

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 ライオンのパティオです。噴水が12頭のライオンに囲まれているとのことですが、私にはライオンには見えないのですが・・・。なんとなく狛犬のような・・・(笑)


〔中高年パワー???〕
きみまろもビックリだと思う。いや、フラメンコの話である。

最初に目が行くのは、若い踊り子である。しかし、見ていくと、中高年の踊り子のしなさかさは素晴らしい。若い踊り子はパワフルな踊りだった。これはこれでいいような気がする。逆に中高年の女性の踊りは手の先等の表現力が違う。若さと表現力は反比例なのか・・・

きみまろもスペインの中高年のすごさに脱帽だろう。

フラメンコを見に行かれたら、中高年の踊りに注目してください。




〔食べ物〕
食べ物 もちろん、パエリアがおいしかった。そのほかにも魚のフライ、生ハム等安くておいしいものがたくさんあった。ただ、残念なことに当時の私はイベリコ豚を知らなかった。もし知っていればぜひとも食してみたことだろう。

本当にスペインは文化、歴史、食べ物と旅人をあきさせることのない楽しい国だった。
しかし、まだ経験していない楽しみもたくさんある。サッカーでは世界屈指のリーガ・エスパ二ョーラ、そしてキリスト教三大聖地の一つサンティアゴ・デ・コンポステーラはじめ北部の地域や祭りで有名なバレンシア・セビーリャ、更にはスペイン風オムレツ、ガスパチョ、イベリコ豚などの料理etc.・・・
いつかまた再訪してみたい国の一つである。(いつになることやら・・・)

※未完成の記事ですので、後ほど修正を加えさせていただきます。
ご了承ください。


〔バックナンバー〕
どれもお粗末な旅行記ですが、こちらもどうぞ。
足跡その1はこちらへ→チュニジア編

足跡その2はこちらへ→イタリア編


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【2007/10/05 Fri 20:02 】 | 税理士試験 | comment(4) | trackback(0) |
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